赤旗事件と大杉榮、堺利彦 其の六

近世無政府主義





『熊本評論』アナキズム関連主要記事タイトル

三号 一九〇七年七月二〇日
【無政府主義の真企図】一
三面 村上哿(かなり)訳 [世界人類歴史の論察及其教訓](註 村上は一八九七年よりサンフランシスコ滞在、大正期に帰国、原著書不明)


四号 一九〇七年八月五日
【無政府主義の真企図】二、三面[世界の起源]


五号 一九〇七年八月二〇日
【無政府主義の真企図】三
、三面[人類の境界]


六号
一九〇七年九月五日
【無政府主義の真企図】四、三面[人類の発達・社会組織の発端・財産私有の結果]


七号 一九〇七年九月二〇日
【無政府主義の真企図】五、三面[人類の説明・迷信の覚醒]


八号 一九〇七年一〇月五日
【無政府主義の真企図】六、五面[根本的信仰の告白・観察力の限界]


九号 一九〇七年一〇月二〇日
【無政府主義の真企図】七、三面[悲惨極まる記録・平民の自由にあらず・私有財産制の絶縁]
【幸徳秋水氏の消息】 七面「小生病気治癒せず、土佐中村町」


一〇号
一九〇七年一一月五日
【露国革命党女員の壮挙】 二面「去月二九日の夜半革命党女員はウラジオ艦隊わ革命党のものにせんととの意を決し

【無政府主義の真企図】八
、三面[社会害悪の根本・人類は停滞する者ならず・歴史上の訓戒]


一一号 一九〇七年一一月二〇日
【九州青年と語る】幸徳秋水 一面七面
【無政府主義の真企図】九、三面[基督教及其教訓]


一二号 一九〇七年一二月五日
【万国無政府党大会】二面七面


一三号 一九〇七年一二月二〇日
【無政府主義の真企図】一〇、三面【無政府党の告文】 三面
【万国無政府党大会】 七面


一四号 一九〇八年一月一日
【圧制政府と革命運動】
【無政府主義の真企図】一一、七面
【無政府党大会】 九面「ゴールドマン女史


一五号 一九〇八年一月二〇日
【非軍備主義運動】大杉栄 一面
【万国無政府党大会】


一六号
一九〇八年二月五日
【金曜講演の大迫害】 東京通信 二面
【土佐中村より】幸徳秋水 三面
【万国無政府党大会議】 六面 「八月二八日前号続き
午後秘密会議、八月二八日夕刻、無政府主義とシカジカリズム、同二九日」


一七号 一九〇八年二月二〇日
【時代は近づけり】 
【東京通信】荒畑寒村 三面「金曜講演会公判報告」[悲壮なる同志の公判]
【万国無政府党大会議】 六面「二九日午後、マラテスタ」


一八号 一九〇八年三月五日
【万国無政府党大会議】 六面

一九号 三月二〇
【無政府哲学】黒頭巾 一面二面 ストライキが起れば必ず之が他に波及して、所謂総同盟罷工を惹
【クロポトキン写真】一面
【時事】 二面[迫害
! 迫害! 金曜講演又々解散さる][無政府党員来!] 「サンフランシスコからの船員? 其の筋の誤解か、新聞記事の引用」

【東京より】一九〇八年三月五日発 守田有秋 三面
【理想郷】堺氏抄訳 六面【クロポトキン小伝】 六面


二〇号 一九〇八年四月五日 
【総同盟罷工の論理】ローラー著 一面
【バクーニン写真】 一面
【バクーニン小伝】 五面


二一号 一九〇八年四月二〇日
【革命即愉快】 坂本清馬 三面
【第二回両毛同志大会】 七面


二二号 一九〇八年五月五日
【上州駒形より】 
【同志の拘留】 八面「武田九平、三浦安太郎
(大阪より)」
【信毛同志大会】 八面


二三号 一九〇八年五月二〇日
【衣食の生産に要する時間】
[麺包の略取第八章中の一節]クロポトキン著 幸徳生訳 一面
【入社の辞】 坂本清馬 一面「予は無政府共産的革命主義者の一人にして、社会的総同盟罷工論者なり

【新聞旧聞】 大杉栄 三面
【国家とは何ぞや】 ゴドウィン
?
【獄中消息】 一二日附け 森近運平 五面
【衣食の生産に要する時間】(完)幸徳訳 七面
【熊本便り】 坂本清馬 八面六面


二四号 一九〇八年六月五日
【無政府党鎮圧】 二面
【防御虚無主義】 大杉栄 三面
【熊本便り】 坂本清馬 八面


二五号 一九〇八年六月二〇日
【過去の一年間】 一面【エリゼーレクルス写真】 一面【同志の宣告】 二面「電車事件の判決、山口義三君去る一八日漸く放免されたる処也。」
【●山口義三君の出獄】
去る一八日仙台の宮城分監を出で翌一九日午前一〇時半無事上野停車場に着せし由。【将来の革命】クロポトキン著 秋水訳 第五章より 三面
【エリゼーレクルス小伝】 三面
【敗北の一年】 森近運平 四面
【敵は平穏】 大杉栄 東京淀橋 四面「今日仙台で重禁錮一ヶ年半という有りがたい宣告を受けた。
兎に角上告はして置いた」
【議会に行くの必要ある乎】研究資料 坂本克水 六面十一面「直接行動、総同盟罷工」
【演説会迫害記】 森近生 土佐中村町 六面「五月二九日午後七時より中村町

【柏木より】 山川均 七面
【米国に於ける同志の迫害】 山川生 九面「
無政府主義者に対する、米国政府警察の干渉迫害同志エムマ・ゴールドマン
【同志諸君に告ぐ】 坂本克水 九面「クロポトキンの克であります」 
【海南評論】 幸徳秋水 十二面「有体にいう、小生はクロポトキン先生を崇拝する者なり」
【第二回演説会】土佐中村町 六月三日森近生 十二面
【同志の消息】 十三面「紀州大石緑亭、石川三四郎、荒畑寒村、
信州新村忠雄[原敬が其の白髪首を賭してアナキストの撲滅に努めんとするや


二六号 一九〇八年七月五日

【廿二日の無政府党の活動】 東京 竹内善朔 二面
【将来の革命】其二 クロポトキン 三面
【管野幽月女史を想う】 坂本清馬 三面
【議会に行くの必要ある乎】(四) 坂本克水 四面
【秋水】 五面 「紀念号昨夜着愉快に拝読 二七日」
【由分社より】 東京 堺ため子、山川均(廿三日神田警察署より、守田有秋六月二八日、大杉保子六月二八日 五面
【思い出】 坂本克水 六面「在京の同志一四名縛に就くと
『廿二日の叛逆』クロポトキンの無政府共産というプルードン曰く
【森近生 六月二三日】 六面
【官憲と同志の大衝突】赤旗の擁護 東京三木生報 七面【東京便り】 岡野活石 七面「一四名の無政府党員を」
【熊本便り】 坂本生 八面


二七号 一九〇八年七年二〇日
【寄付金募集】申込所 熊本評論社 一面
【海南評論】 幸徳秋水 一面
【試みに問え】 クロポトキン 一面
【時事】 二面●奇怪の風説「電車事件、一審、二審無罪、大審院が破棄して宮城控訴院に移す、
【将来の革命】其三 クロポトキン 三面
【新刊紹介】 五面「『動物界の道徳』東京 有楽社 平民科学第四篇クロポトキンの『相互扶助』の最初の二章」
【愚痴小言】 竹内善朔 六面「送った原稿に手が入っている(七月一
2日)」
【東京便り】 岡野活石 七面
【北海道便り】 久保田牧民
【大阪より】 一労働者「東京にある在監中の同志の一切の面会書信を禁止したそうだ吾々は何か手段を講じて

【東京通信】 坂本克水 八面


二八号 一九〇八年八月五日
【同志諸君に訴う】 金曜社旧同人 一面二面
【獄中雑吟】 秋水 二面
【時事】 二面●本紙告発せらる●社会主義取締「桂内閣と西園寺内閣」●獄中同志の消息「神田事件
予審も終結したれば今は通信も許され面会も許されたる由、公判の期日は不明」●同志の拘引 去二一日の夜大阪武田九平、福田図々の二名
【将来の革命】其四 クロポトキン 三面四面
【都の近郊より】 守田有秋
【爆裂弾】 大阪 三浦生 四面
【愚痴小言を読で】 大阪より 一労働者


二九号 一九〇八年八月二〇日
【赤旗事件公判筆記】公判第一日 八月一五日 一面二面
【●本紙又々やらる】 二面 八月五日発行の本紙発売禁止
【●大阪平民倶楽部設立】 二面
【●友を偲ぶ】 長加部生 三面「小暮礼子
一九才の少女だ七月二四日」
【醒風颯々】 三浦黒画廊 五面
【返し文】 竹内善朔 五面
【獄中の諸姉】 活石生 六面
【東京監獄より】 荒畑寒村 七月三一日 坂本氏宛 六面【東京監獄より】 百瀬晋 七月三一日 守田氏宛 六面
【公判の記】 七面「本紙二七号に対する

【判決】 八面「松尾卯一太 新聞紙条例違反 七月二〇日」


三〇号 一九〇八年九月五日
【赤旗事件公判筆記(承前 金曜社旧同人筆記)】公判第二日 八月二二日 一面三面五面一面 
【同志諸君】 幸徳秋水 二面
【本社の公判 発行禁止】 二面
【謹告】 松尾卯一太 二面「一ヶ月間熊本監獄

【獄中消息】 四面「七月二五日 堺利彦、八月二〇日 宇都宮卓爾、八月一〇日 百瀬苔果、八月一九日 徳永保之介、八月一九日 大須賀里子、八月二〇日 小暮礼子」堺利彦
【赤旗事件判決】 五面「去二九日判決言渡しあり」
【獄中生活】 五面「八月一七日 荒畑勝三、一八日午後 堺利彦、八月一四日 神川松子、八月一三日 村木源次郎」堺利彦 八月一八日午後
【獄中消息】 六面「山川均、八月三日 管野幽月、八月三一日 幽月女史」
【獄中消息】 七面「八月九日 森近運平、八月二〇日 佐藤悟、八月一九日 神川松子、荒畑勝三、八月一八日 森岡永治、七月二五日 山川均」佐藤悟「(八月二〇日)
……
【判決】 八面「新聞紙条例違反 松尾卯一太 八月五日附け」
【大阪平民倶楽部より】 八面


三一号 一九〇八年九月二〇日
【終刊の辞】 一面
【一段落だ】 幸徳秋水 一面
【悲壮なる最後の法廷】 二面「錦輝館赤旗事件の判決言渡しは八月二九日午前一一時服部検事立会、島田裁判長に依り言い渡された。判決左の如し
【捲土重来せん】 於東京 坂本克水 四面
【神様と泥棒】 禄亭生 六面
【東京より 一一日発】 坂本克水


赤旗事件と大杉榮、堺利彦 其の伍

近世無政府主義中扉


 次て山川均君は立てり。

……警官の証言は殆ど支離滅裂にして、……………佐藤悟君のみは警部の訊問に答弁せず、……………余は一ツ橋交番の前を通過せし時、警官が『君等は錦輝館の帰りなるや』と問いしゆえ、然りと答えしに、然らば一寸と立ち寄られたしと請いしかば、其の儘同派出所に入り後神田署に拘引されしなれば後藤巡査などに捕獲さるる理由なし、兎に角、警察は有ゆる捏造をなして吾等を陥擠せんとするが如し。余は本件に関して、責任を免れんと云うに非ず、然れども、今日の横山巡査の如き証人の一言に依りて罪に処せらるる事は断じて忍びざる処なり』云々、同君は尚お木下尚江君の証言に対し激烈なる駁撃を試み、其の誤謬を指摘せり。

[五面]

 次で寒村、荒畑勝三君は立てり、曰く

……………判官諸公、巡査の証言に依れば、三本の旗が一時に錦輝館の門を出で、一時に禁止命令を受けしが如くあれどもも、全く虚言なり、……………余等が神田署に引致せらるるや巡査の態度は俄然として一変せり神田警察は吾等を便所に行かしめず、食事をも供給せず。茲に於てか吾等は巡査を罵倒せり、同じ平民階級に在りながら、其の味方を苦しめんとする各

巡査等は、一人一人吾等を引出して殴打し、若くは頭髪を引張れり、殊に彼等は大杉君を引出して両足を持ちて床上を引き摺り、長き頭髪を引張て頭部及び各所に数箇所の負傷をなせしめたり、大杉君は是に対して医師の診断書を求めたり、然れども警察医は宜し宜しと答えたるまま遂に診断書を与えざりき。裁判官!斯くの如きの暴力に抵抗したるの故を以て罪に問わるべくんば、余は喜んで罪に服すべし』悲壮激越の調、満廷を圧し、声涙共に降るものなりき。

 佐藤悟君は次で立てり、曰く「余は各所に負傷し、検事局に於て之を示し検事も亦是を認めたり、然れども、被告の言は一として用いられず、却って犯罪者として陥擠せらるる事は遺憾なり。若し又、私有財産制度を保護する法律ならば、何故吾等の私有物を保護せずして冒横を事とするか」意気軒昂、蛮声満廷に満つ。森岡永治君は皮肉なる冷罵の調を以て検事に向えり、先づ、「検事閣下の論告は、虚言の分量の多かりしだけ、それだけ無力なりき」と揶揄一番し、更に事実の相違を指摘せし後「警察が吾等に対し陰険なる手段を弄するは、啻に此の一時に止まらず」とて、出版及公開演説に対する禁止命令及び、或方面に於る同志を間接に迫害して失業せしめし事実等を列挙したる後「何時の裁判も、厳罰に処すべしという検事の御論告なれば、事新らしくと云うの必要も無りしに、又もや厳罰に処せと論告せられしは至極滑稽なりと冷罵し、更に…………最後に「証拠品なる三本の赤旗は、大切に保存されん事を乞う、日本政府が一度△△して、理想的社会を実現するの時之を紀念品たらしめん」云々と結ぶ。

 次で神川女史は「繊弱き、婦人が仲裁の労を取り得ずと検事は論告せられたるも自分は婦人なればこそ仲裁し得ると信ずるなり。彼の伊庭想太郎が、星亨を刺さんとして其玄関に赴きし際、可憐の小児の出づるに遭い哀れを感じて遂に空しく引き返せしと云う話もあるにあらずや、自分は社会主義なるが故に罰せらるると云うならば甘んじて服罪すべし、されど警官と同志を調停せしの故に罰せらると云うに於ては、断じて服罪する能わず」と述べ管野幽月女史は「法律は個人の思想を罰する事を得ざるべし、飽まで公平の裁判を望む」云々と述べ、閉廷す、判決は29日午前9時。

31号 1908.9.20

<悲壮なる最後の法廷> 二面

「錦輝館赤旗事件の判決言渡しは829日午前11時服部検事立会、島田裁判長に依り言い渡された。判決左の如し

重禁錮26月罰金25円 大杉栄

同  2年    20円 堺利彦

同          山川均

   (註 控訴するも原審のまま)

同          森岡永治

同  16月  15円 荒畑勝三

同          宇都宮卓爾

同  1年    10円 大須賀さと

   (註 控訴審で執行猶予が付く)

同          村木源次郎

同          佐藤悟

同          百瀬晋

同  1年    2円 小暮れい

   (但し5年間刑の執行猶予)

同          徳永保之助

(但し5年間刑の執行猶予)

無罪         管野すが

無罪         神川まつ

寒村荒畑勝三君は、猛烈疾呼して曰く『裁判長!』裁判長は稍々青味勝ちたる顔を仰て寒村君のを一瞥した。寒村君は猛獅の吼ゆるが如く、

『裁判長! 神聖なる当法廷に於て、弱者が強者の為に圧迫せられた事実の、明瞭となりしを感謝します、何れ出獄の上御礼を致します』

 次で大杉君も亦『裁判長!』と疾呼して何事をか言わんとした、然し驚愕の色を眉宇に浮かべたる裁判長は、『今日は言渡しを仕た迄だ、不服があれば控訴せよ』

と言い棄てて去んとする。茲に於て大杉君は『無政府党万歳!

と叫んだ他の同志も我劣らじと『無政府党万歳』を連呼した。』傍聴席には60余名の同志が列席し、新聞社席には都下の新聞記者及幸徳秋水、坂本克水、徳永国太郎、等の諸君が着席して居た。

 佐藤悟君は例の蛮声で、『是が所謂法律だ吾々は唯だ実行!!実行!!

 大杉君は、呵々大笑して居た。非常に感情の興奮する時、吾等は彼の此の哄笑を聞くのである。曾て本郷平民書房楼上に於て、金曜講演迫害事件の有た当夜、同志の一人がユートピアの話を仕て臨検警部の講演中止、集会解散を食った時、呵々大笑したのは大杉君であった他人が血涙を振って憤る時に、哄然として大笑するのが大杉君の癖である、吾等は彼れの此の哄笑を聞く毎に、悲憤の涙が零れる。堺君は幸徳秋水君に。『社会党の運動も是で一段落だ、折角身体を大事に仕手呉れ』と言いつつ、相顧みて一笑した、ああ寂しき一笑、無限の感懐に満ちたる一笑。

 山川君は、毫も興奮の状が容貌に現われて居無かった、静々笑って、悠然として、も出て行った、ああ痩せたる彼れの後姿!!三ヶ月有半の牢獄生活に、青春の血潮を涸渇されたる彼は、今や再び苦き経験を繰り返さんとす、ああ恐ろしき監獄の烈寒………………

 看守は十四名を牽いて撻外に出した、長き広き廊下に溢れたる群衆は、愁いと笑をもて目送する、同志の或者は再び万歳を連呼した。而して『ああ革命は近けり』と、声高々に歌うたいつつ。

大いなる運動、大いなる活動は、茲に時期を劃した、歴史は更に次の頁に移らねばならぬ。如何なる頁か、其は唯だ為政者の自由なる想察に任せる!!(有生)



赤旗事件と大杉榮、堺利彦 其の四

1906年運動会

論告と弁論

公判筆記三〇号(一九〇八年九月五日)に掲載される。『赤旗事件公判筆記(承前 金曜社旧同人筆記)』    

八月二二日午前九時東京地方裁判所に於て古賀検事干与、島田裁判長により開廷、朝来より傍聴席に押寄せた来りし群集は約四百名と註されり。前回は法廷なりしかば、此の日は控訴院第一号大法廷にて開廷さる、群衆中には麹町署等より派せられたる刑事巡査多数傍聴し居たりき。一四名の被告人は例の如く元気なる面持にて、微笑しつつ入廷せり

管野は予審調書に対して再弁明をする。「予審調書には全く跡方もなき事を羅列せり。然も其事たるや到底、病身の自分には出来難き犯罪事項なり。自分が社会主義者なるの故を以て罪の裁断を受くるならば、甘んじて受くべし。然れども、巡査の非法行為を覆わんが為めに、犯罪を捏造して入獄を強いんとならば断じて堪ゆ可らず」。               

検事は論告で次のように述べている。「元来三本の中一本は、被告利彦の家に保存し在りしものにて頗る由緒あるものなり。亦他の二本に関しては堺為子、大杉保子、福田英子、木下尚江、巡査大森袈裟太郎等の証言に依るに、為子及び保子は荒畑、宇都宮、村木、佐藤等が是を会場に持ち行けりといい、福田英子は大杉、森岡、宇都宮、徳永が持ち込めりと云い、木下尚江は山川、大杉、荒畑、大森巡査は百瀬、荒畑、宇都宮、大杉が持ち込めりと証言せり、之に依って是を観れば、被告中男性の者は悉く旗の製作に関連せりと云うべし。…『赤旗は吾等の生命なり、故に軽々に渡すことの能わず』と公言し、赤旗を以て主義の表示なり生命なりとせるに拘らず、白昼之を街道に翻して、尚お且つ治安警察法違反たらざるの行為ありと信ずるの気遣なし。……禁止命令は言語のみにて表わさる可きものに非ず、行動に於ても是を表示し得るなり故に旗を取上ぐる事も亦法律的行為なり兎に角言語なり亦は動作なりにて、巡査が禁止命令を発せし事は事実に相違なし、治安警察法違反に相当するは明らかなる事也。……巡査の行為を不法行為なりて罵れる言葉の反面には、彼等が抗拒せりと云う事実を、暗黙の間に自認せるが如し」

弁護人卜部喜太郎の弁論を要約する。「本件は社会党員と巡査の旗取りに初りて、又旗取りに終れりと云うべし。至極事件は簡単なり。既に被告等は赤旗の掲揚に対して、禁止命令に接せずと云い証人の巡査十三名も何れも禁止命令を知らずと云う、唯だ一名大森巡査が禁止命令を発せしと云うも真偽疑わし」

「されど一歩を譲りて、本弁護人は後に禁止命令のありたるものとして論ぜんに元来治安警察法第一六條の命令を発して若し被告等が是を用るざりし時には、警官は直に同法第二九條に依り是を捕縛拘引すれば事足れり、何を好んでか運動会の如く、旗取りなどをするの必要あらん」

「…本弁護人は警官が何の法律の条文に依るも、他人の所有物に手をかけ得る何等の権利を有せずと信ず。唯だ前述の如く警官等は治安警察法違反にて被告等を捕縛して引致すれば事足りしなり、……被告等が是に対して防衛せりとて官吏抗拒罪を成立するの理由なし、曲は彼に在って、我に存せさればなり。本弁護人は以上の理由の下に被告の全部が無罪の裁判を与えられん事を希望す。」

「最後に検事閣下は、社会主義者は累犯の恐れあれば、厳罰に処せられたしとの事なりしも、…姑息なる社会主義者の取締法と云うの謗りを免れず、充分沈重なる御裁決を乞う」。

「卜部氏の弁論は多大の感興を傍聴者に与えたるが如し。兎に角近来の大弁論にして一言一句の惣にす可きもの無りき」と筆記者は評価をする。

堺利彦の弁論

堺利彦は幸徳秋水、山川均、大杉栄たちと金曜講演会を開き直接行動派に近い立場であった

官憲の弾圧により揉み合いが起きてからこれまで引用してきた報告や訊問にあるように、堺は官憲と大杉や荒畑の間にたち官憲の横暴をいったん収束させた。

そして旗女性同志に預け、弾圧された同志たちへの救援の段取りをつけるためいったん引き上げようとしたところを検束されてしまったのである

そして第二回目以降の公判においても理詰めで検事への反論を弁論で展開している

 堺「検事の論告に依れば、被告は社会主義者なるが故に厳罰に処せよとの請求なりしが、若し、社会主義者なるが故に罰せらる可きなれば、被告等は甘んじて刑に服すべし。然れども法律には『社会主義者となるものは罰すべし』と云う名文も見受けず。然るに理由なく、徒に、厳罰に処せよとは甚だ奇怪至極なり、寧ろ失笑に値せずや

検事論告を引用し検事の稚拙ながらも天皇国家の本質を顕す言説に対しと当然ながら検事に対し理をもって諭す。

又、検事は『無政府』なる文字に重きをお置きて、何等文字の内容に就て罪を問う処あらざりし、若し無政府主義者なるが故に罰せらるるならば、則ち可なり

さらに無政府「主義」の内容を語らずして、「無政府」という文字のみを糾明する検事に対して、その内容を語れと迫る。

然れども若し文字の内容に就て門罪せらるる処ありたらんには、各被告共に其の説明を異にするが故に、断罪するに於ても亦多少の相違ありたらんと信ず、惜しい哉、検事にも判公にも、何等の御訊問なかりき

被告とされた同志たちの間でも社会主義の把握、無政府主義の認識程度は多様であるにもかかわらず検事、裁判官(予審廷)から何らの「訊問」はなかったことを示し皮肉のことばを発する。

被告の考える処に依れば、無政府主義も社会主義も、其の内容に依って同一なりと思う。或者は便宜上社会主義と云い、或者は無政府主義と云う。然るに内容に論及せられずして厳罰に処せよとは奇怪の事なり

実際、この時代の「無政府主義」は本格的には幸徳秋水を通じて伝えられ始めたばかりである。

堺自身も「被告の考える処に依れば、無政府主義も社会主義も、其の内容に依って同一なりと思う。或者は便宜上社会主義と云い、或者は無政府主義と云う」と述べている。

当時、幸徳の社会変革への提起は「政府、議会、議員、投票を信ずること勿れ、労働者の革命は労働者自ら遂行せざる可らずと」と直接行動、ゼネストを論じサンジカリズムであった。                  

堺は続けて日本の文壇に於ても既にニイチエ、トルストイ等の無政府主義の思想伝播せられ居れり、若し内容を究めず『直に無政府主義』という語を罰す可くんば、是等文壇の作者も罰せられざる可らずと、作家たちも間接的に無政府主義を語る現実を示しているが、それは虚無主義、平和主義の範疇も含められて無政府主義と受け止められていた。

ロシア・ナロードニキの闘争、クロポトキンのアナキズム理論の著作の紹介も含め、無政府主義と受け止められる思想の幅は広かった。


ライオン歯磨の旗

続いて旗をめぐり商品の広告旗を持ち出し官憲の立場を揶揄する。当時はラジオ放送開始までまだ二〇年近くあり商品宣伝は新聞、雑誌と街頭での広告と限られていた。たてながの「旗」を活用していたのであろう。

若し亦単に旗を翻して治安に害ありと云う可くんば、彼の広告隊の掲ぐるライオン歯磨の旗も、クラブ洗粉の旗も治安に害あり。警官は是等の広告隊とも衝突せざるを得さる次第なり。

或は思う、今回の事たる山縣の一派が西園寺内閣に対する……(注 原文記事自体が…)」

この時検事は倉皇として起立し検事は「本件に何等の関係なし」「憲法の条文に依り、公開禁止を求ざる可らず」

揶揄から今回の弾圧の始動が政権内部抗争の一端にあると論を転じるや発言を検事にと起立して遮られる。

島田裁判長もまた「公開の禁止を宣言せざる可らず」

裁判官からも注意が発せられ堺は「巧みに論鋒を一転」し警察への攻撃に及ぶ。

「判官諸公、警察官の言の信を置くに足らざる事は、枚挙するに暇なきが、一例を挙ぐれば、森岡君を陥れんため、前回当廷に証拠品として帽子を提出して、尾を表わし、時計の鎖を首に懸けたる婦人を神川女史なりと証言して嘲笑を買い亦、神川女史が同志に向い、『黙殺せよ黙殺せよ』と叫びしを聞き、彼等は文字を知らざるが故に『撲殺せよ』と言いたりと誣い、現に予審廷に於ては、『神川マツは乱暴なる女なり、我々を撲殺せよと叫べり』など証言せり、豈な牛や豚やにあらざれば、神川君と雖も撲殺するの必要もあらざるべし、(哄笑廷内に満つ)亦、予審廷に於ては塁針を証拠品として提出し来り、『是にて吾々を突きたり』と捏造的証言を述べたり。思うに此針の如きも騒擾の後数千の群集中、何人か一人遺棄せしを拾い来って、斯くは我等に罪を誣ひんとせしなり

之を要するに警官が吾等に利益ある証言は一言も漏さず、若し人を陥穽し得る材料ならば、片言雙句と雖も是を蒐集し来って、捏造的証言に宛てんとしたる其証跡歴々たり。吾等は必ずしも巡査を敵視するものにあらず。彼等も亦薄給に甘んずる労働者なれば、共に我等平民階級にして、我等の味方なれども、余りに事理を弁えず、徒に政府の代表者となりて其の権力を濫用するに於ては、其の罪断じて許す可らず」と、堺の論鋒警官に及び、巡査が平民階級の一員であることを指摘するも政府の立場となり権力の濫用をすることは許さないとする。

吾等は飽まで其の陋劣なる心事と、卑屈なる行為を攻撃せさる可らず。(満廷水を打ちたるが如く、寂とし声なし)」巡査の卑劣で卑屈な行為は糾弾せざるを得ないと結ぶ。満員の法廷は官憲側の傍聴者も含めて聴き入らざるを得なかった。

『革命』の旗

検事論告にて『革命』の旗が「由緒ある旗」であると決めつけられたことへの反論を述べる。「検事は、余が旗の製作及持込みに関係せしが如く論告せられしも、其の論告たるや如何にも窮せられたる論告なり。彼の『革命』なる旗は余の宅に保存しありて由緒ある旗なりと云われしも、余は彼の旗の製作にすらも関せず、」「若し由緒ありとせば、其は余の六歳に成る愛児が、常に大道を携え歩きて、何等故障なく警官の前を通過せりと」してユーモアと皮肉で検事の「由緒」の文言を逆手にとる。  

娘の真柄が手にして警察官の前を通っても何事も起らずに通過したという事実を指摘、そのことを「由緒ある」と規定して検事が堺利彦と何が何でも結びつけようとする抽象的な文言の論告への反論とする。

「亦検事は神川マツ子君が、仲裁と称して旗を奪取せり、と論告せられしも、実際仲裁と云う事は、今日迄度々行われ居たるなり、現に山口義三君を上野停車場に迎えし時の如きも一大騒擾ありて、石川三四郎君が警官と同志の間に絶えず仲裁の労を取られしは事実なり」

「亦神田署に拘引されし夜の如きも、我党の士が警官に対して不平を訴え、喧騒を極め、警官も為に持て余し、遂に余に向って、同志を慰撫鎮静せんことを請い、初めて鎮るを得たるにあらずや、検事は斯の如き事実あるに拘らず、尚お官吏と同志との間に仲裁の不可能を力言せらる」

事実を捻じ曲げた警官の証言によりて裁判をすることは「日本裁判所の裁判を受くるが如き心地せず恰も警察署と云う裁判所にて下級警官の裁判を受くるの感あり」と皮肉を込めて述べる。

「是を要するに、吾等は、何等の罪にも擬せらる可きものにあらさるなり」とまとめ、巡査の報告をもとにした予審と検察の論告では法律違反を明らかにできなかったこと指摘し一時間余にわたる弁論を終えた。

                    



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